2014年7月15日火曜日

あーポルノが描きたいよー(涙)

●  堀江貴文氏が局部3Dデータ配布で逮捕された容疑者をめぐり、一部報道を批判 「自称は酷いよね。クソマスコミ」
  ていうか逮捕された「ろくでなし子」さんは、アーティストには間違いないのだが、それをマスコミが「自称芸術家」と「自称」つきで報道した事に堀江氏は怒っていて、それは僕も同意する。堀江氏自身に必ずしも同意するわけじゃないけど、この点には同意する。   ていうか堀江氏と茂木健一郎氏が両方彼女への擁護論を主張しているのに堀江氏のみをタイトルにする事がなんだか既にマスコミが恣意的な所以なんだけど。   ・・・まぁ、僕は局部表現については昔から解禁派だからなぁ・・・西洋と日本のルールを一致させるべきだ、って考え方なので。  逮捕じゃなくて、容疑で在宅書類送検くらいになんないのかな、これ・・・と思う。
  ただ、逮捕された理由は3Dスキャナーで3Dプリンター用のデータをまいたって事で、それは僕から思うに、「スキャナーがあれば誰でも作れるものなら、それは芸術の、芸と術が要らないんじゃないのか?」と。いや彼女がアーティストってのは間違いないんだが、3Dスキャナーのデータは・・・微妙。   文面的には、彼女のこれまでのアート作品の本体が容疑になってるわけじゃない筈なんだけどね。・・・こういう事がおきると、性器表現込みで扱ってるアート全体が日本では駄目って事になりかねないじゃん?そういう意味じゃないはずなんだが、前例として今後恣意的解釈されると、日本が極度に世界標準から外れていくんでそれは駄目だな、と思います。   ただ、アダルトアートを作りたい人々ってのは確かにいて。例えば自分はアダルトアートを作りたいわけじゃないんだけど、アダルトアートが増えていく潮流の中で、どう誤解を受けない表現を続けていくのか、ってのは難しいよね。
  例えば、週刊誌のグラビアやフライデー・フォーカスのような写真週刊誌にヌードが結構載ってるけど、あれは中学生や高校生の購買が禁止されていない。   あれはつまり、このヌードは文化的に一般向けのものであって、18禁扱いではない、って判断だから、(今までは)中学生や高校生も買えてるわけです。   簡単に言えば、ヌードを題材にした(古代からの)彫刻や絵画ってのは(僕の子供の頃だと)小学6年ごろの図画工作や中学当時の美術の教科書でも載っているわけで、つまり、「良い美術作品としてのヌード表現」を早めに生徒に見せることで、劣悪な表現への抵抗力を鍛える、ってのが、中学3年までの義務教育の図工や美術のカリキュラムを組んでる人々の中にちゃんとあるわけ。(理由は義務教育の後に教えて、それを学べない16歳以上がいると好ましくないから)   で、僕のやりたい表現ってのは、実はそれらとあんまり大差ないんだよね。多少時宜の影響を受けてるってだけで。コード的にもネット的にも、人形作ってる人の標準表現だし。なんていうか14歳以上向けで時宜にあった事をやってるだけというか。   僕は、自分がヌード描いた絵にポルノって意識はほとんど全くない。ていうか僕が普通に描いてるヌード絵には、作品としての価値はあってもポルノ的価値って無いと思う。エロ系の連中は僕の絵の事をげらげら笑ってるし。エロくないから・・・・・・  僕がポルノっぽい絵を描いたら、多分世の中の色々吹っ飛んじゃう位じゃなきゃとは思ってるが、今現在描く気ないし。・・・ヌードがポルノとは限らないんだけどね。 (2014_7/15 0:06 JAPAN TIME
  P.S. ていうか、「The Great Wall of Vagina」などは海外にあるけれど(この手の嫌いな人は見ないで良いです)、多分3Dデータという無限配布じゃないと思う。   ただ、性器描写のある表現(性器自体の表現じゃなくて)って意味では、日本の美術(立体造形)の世界はかなり自由化してしまってるのが現実で。そこは重視しておかなきゃ駄目だと思う。ただそれは美術というカテゴリーの範疇での話なんだけども。   例えば先のバルテュス展でも絵画の少女のスリット描写は自然な範囲では別にコードにひっかかってなかったし図録も普通にそのままだったし、それをそのまま(実際に展示画見るよりも見える形で)「日曜美術館」が放送電波に乗せていたし、   こないだからみんなに勧めてた、先日の横浜そごうのそごう美術館での四谷シモン氏の生誕70周年記念展でも「解剖学の少年」や少女人形など、普通に展示されていたし、それらを小学生中学生高校生もちゃんと見れるようになってたんだよね。   シモン展の場合中学生以下無料。バルテュス展の場合一般1500円で小中学生は500円。展覧会を10代の少年少女でも見ることが出来た。ただ、どちらも表現が全体の一部として不可分な形であるって事で。   (ちなみに近年の四谷シモン先生の大きなドール(ベルメールへのオマージュ シリーズとでもいうのか)では、性器部分の表現が基本的になくて、なんていうか変身サイボーグの腰パーツみたいにつるっとなっている。それで逆に無性的というか天使的な表現になってるのがいいんだけど・・・だからってあらためて上から目線で官公庁や地方自治体から規制するだとか、みんな言われたくないだろうしなぁ。その必要も無いし。昔から日本には生き人形というジャンルがあって、いかに精緻に人体を再現するかというジャンルなので。ていうかどのジャンルでも、江戸時代より表現の自由が失われてたらなぁ、って; )   例えば以前「人体の不思議展」という展覧会が全国巡回展示していて、現実の人の遺体を特殊保存硬化して展示しているという事で後に問題にもなったんだけど、現実の人体をあそこまで晒すのが許されるのに(あれを見て心の病になる人はゼロではないと思う)、健康(とは限らないが)な肉体を人の手で絵画や彫刻や人形や写真など・・・再現したものを規制するというのは・・・・・・現代の時宜には反するんだよね。   ろくでなし子さんはとりあえず「健康的」ではあると思うので((秘宝館的)民族的でもあるし)、アート作品についてはあまり弾圧しない方がいいのではと思う。   まぁ3Dデータ問題についてはちょっと僕の美術倫理思考を超えるので、もう置いておく。他に語りたい評論家が一杯いそうだし、僕は論客じみてはいても評論で金を稼ぐ評論屋や評論家ではないので。 (美術日記ページにもこの文貼っておこうかどうしようか、って感じ 2014_7/15 13:35 JST

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