2015年10月1日木曜日

ていうか、僕は成田亨の名前を利用したかっただけなんだよね!「成田の弟子」なんて大嘘さ!あの爺さんの名前を出せば、みんな僕を尊敬すると思っただけだよ!あーっ、死人に口なし!!

● あまりにも酷いのは、悪質な大田区警察みたいな所もそうなんだが、警察や教師や悪質同人コスプレイベンtお関連どころか、
  こともあろうに弁護士まで、物事を言うのに5W1Hを正確にしゃべらずはしょってごまかす事で、事実を勝手な虚妄に捏造し続けているって事だ。その日々の累積のどこに真実があるっていうんだ。下劣極まる。 (2015_10/01 11:30


○ ていうか成田亨氏の遺族である成田浬氏のブログとか、遺族の方々が作ってるfacebookとかはもうずっと前から見てるんだけど、
  8/28の成田亨フェイスブックのコメントに「様々な圧力などもありますが」という部分があって、「やっぱりまだあるのか・・・」と驚いたというか暗澹とした気分になった。
  まぁかつては成田氏サイドとか遺族の方々にプレッシャーを与えてきたのは円谷およびその関係の人々で、80年代末期から90年代前半の、道玄坂センタービルギャラリーでの成田展などは円谷関係者は出入り禁止だったわけだけど(開田氏などは入れたが・・・まぁ円谷は先生に当時の美術監督代とデザイン料を払って以来、退社後一銭もマージン払ってなかったし、「みんなでデザインした事に仕立てた」とかまぁ色々あったしその辺はみんな知っての通りで、円谷関係者は全面的に個展出禁だった)。
 でも、時代の流れとともに状況は変化してる。現時点では、一番成田サイドに対してきつく出てるのは、円谷信者で成田批判している特撮オタク関連とか、円谷側版権ビジネスに絡んで生きたい側や・・・まぁガレージキットなどもそうなのだが、あえて成田サイド主張を無視し続けようとしてる連中の圧力が強いように見える。
  成田サイドと美術界&美術ファン、そして美術館のキュレーター側が、彫刻家でデザイナーで特撮美術監督だった成田氏の主張を裏打ちしていて、それらは既に美術界に定着した。   が、その主張をあえて全無視で封殺し、「円谷の主張とこれまでの業界版権ビジネスに逆らったから犯罪」とまで言い切ってた連中もいる(僕も過去2chで彼らに相当叩かれた)。理由は無知連中にとってはそれがこれまで普通に正論扱いされ多数派だったからで、既存の多数派を既存の理屈でただただ仕切って支配したいオタク連中ってのはいるわけだ。特撮オタク界でイノベーターやりたいと思ってた側の方が少数派だったわけで。

  特撮オタクってのは僕みたいに革新派でも無く、旧態依然の中に安住したいのが大方の人々だから、そんな異常なまでに既製ヒエラルキー保守な特撮オタク群の多数を支配して牛耳ろうとしている連中は、昔からいる。しかし彼らはそもそもそんなに特撮に詳しいわけでもなく、普通に書籍やムックの知識くらいまでで、ただ一般向け書籍では比較的知られた事を言ってくる連中なので、特撮オタク界のマスの支持を取り付けやすい。その分タチが悪い。
  (で、僕は特撮だけじゃなく、アニメやコミックのファンだったし、あくまで成田氏のデザインや美術セット、作品など、成田作品の美術側面に感動したから、美術勉強しなおしてみようと成田教室に行く事になった。だから僕には昔ながらの特オタほどの特撮的知識はない。世代が微妙に違うし、僕が成田教室に行ってた主目的はデザイン能力や描画能力の自己修練だったので)
  彼らにとっては成田氏と美術界がそういう連中の思い通りにならず敗北を認めないから、イラついて仕方がないってのはあったんだと思う。何度かの回顧展が開催されて彼らもそうそう相手にされなくなってはきてるからもう気に病むほどでもないけれど。
  ただ「金銭出資側が著作権所持者だ」などとする馬鹿げた旧態な判例(そんな判例は無知によるでたらめだが)はいまだに裁判界で幅を利かせてるんだよね。
  逆に僕の座右の銘は先生の言葉の「プロデューサーはクリエイターではありません。プロデューサーは商人です」だったりするけど(マジで)。
  その意味では成田氏と遺族の方々の美術界でのマルCに対して、僕は応援する立場でしかないんだけれど。(生徒間問題だの目録云々は全然別)
  最近朝日新聞の「光の国から」みたいな連載もやってるけど、あの連載に報われたと思ってるキャストやスタッフもいるはずで。ただ、成田氏の生前にあの連載やってても、成田氏の存在は希薄な連載になってただろう。
  (つまり、僕は故・成田氏と遺族の方々にそういう圧力はこれまでかけた事ないので念の為。むしろ僕を叩いてる特オタ連中は先生が亡くなった2002年ごろ散々先生の悪口を2chで言ってた連中なので。)

  ・・・だから今回の海洋堂専務の宮脇氏による、成田サイドへの謝罪対応は、今回はしっかりしてたので良かったなと思う。
  FSSフィギュア関連ではうーむってのもあったが、ウルトラ系問題は海洋堂的にあってはならない事だろうし。
  ただ、順々にそう変わっていく世の中がもどかしくて、自分が厭世的になったのも事実です。80年代なかごろには、変わるんじゃないか、っていう希望もあったんだけどな。 (2015_10/1 12:31
  ※ でも自分は当時話数としては飯島監督回とか満田監督回とかも好きなわけで、映像作品全体をみんなで作ったというのは解ってる。ただヒーロー怪獣デザインとか、隊員スーツやビークル、メカ、ガジェットなど、成田氏任期中はほぼ全部成田デザインの功労が圧倒しているし(僕は井上泰幸氏もすごいと思ってるが)、脚本上設定もベースは金城氏らで、マンとセブンは石森映像作品でいう原作の扱いに成田氏と金城氏らは限りなく近いだろうな、って。ウルトラ作品における各脚本家やスタッフや各監督や何より俳優・スーツアクターの方々の功労も理解した上で。そりゃウルトラなどの作品見てスタッフ陣のテロップ見れば感心する。
  ※※ ていうか、80年代の特撮界はイノベーター多かったなぁ。出渕氏なんか圧倒的にそういうタイプだったし。雨宮氏もデザインから監督になってったので、そんな感じだった。(15:05


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